2015 しまなみトリップ



11月の初旬から、猛烈に忙しくなった仕事に押され、朝8時から深夜24時頃までの16時間勤務を連日こなし、心身共にクタクタな日々。さらに、3連休を目前にして、まるで出口が見えないタスクの山に、心底嫌気がさした。


もういい。


どうにもならない事を、どうにかしようとするのは人生の浪費だ。
出来なければ、謝ればいい。
誰も、命までは取らないのだから。


後は、休み明けの僕に全てを放り投げよう。


っと、パソコンの電源ボタンを押し込むと、モニターがブラックアウトすると同時にオフィスを抜け出した。


そんな決意の元、今回向かうのは、広島県尾道市の沖合いに浮かぶ因島。狭い瀬戸内の海峡に数十と浮かぶ島々を結ぶ『しまなみ海道』の本州側からいうと向島の次となる因島の北岸が、今回の旅の出発点となる。


数日前に、フェザークラフトが業務縮小に伴い、フォールディングカヤックの製造を中止するという、衝撃的なアナウンスがあったばかり。多少の不安を抱える中、それでも旅が始まるという高揚感がそんな不安を吹き飛ばす。


ドライと言われるかもしれないが、結局のところ、フェザークラフトはあくまで旅の道具であり、旅とフェザーのどちらが主でどちらが従であるかは、ここに集まった海を旅する人達の旅支度を見ていれば明らかであり、そんな人達だから、あえてフェザークラフトを選んだのだろう。


なんだか逆説的で、哲学チックになったので、話を旅に戻そう。


低気圧が列島に近づき、南方の洋上には季節外れの台風も発生している中、それでも天空には澄んだ青空が広がり、すでに汗だくになったシャツの上に、さらに万が一の沈に備えてフルドライスーツを羽織る。


・・・アチィ〜!!(ー ー;)


しかし、ドライスーツありきで今回の旅のウェアリングを準備していたため、濡れた時の予備の着替えがなく、仕方なく、ドライを着込みながら、


『やっぱりこの季節はドライ一択だよなぁ〜( ´ ▽ ` )ノ』


っと、全身汗まみれになりながら強がる。


今回の旅には、アウトドア業界では知らない人はいない、フリーのアウトドアライターにして、世界をまたにかける旅人のホーボージュンさんと、カメラマンのマコトさんも加わり、フェザークラフト10艇の船団となる。


まだ僕が、フェザークラフトと出会う前、PEAKSやBEPALの紙面でジュンさんの執筆する道具評やコラムを読みながら、大いに影響を受け、憧れ、いらぬ散財を繰り返していた当時の僕にとっては、近い将来(現在)、艇を並べて海を一緒に旅するなんて日が来ようとは夢にも思わなかったし、ましてや、誰も居ない無人の浜で酒を酌み交わしながら、アウトドア業界の展望から、下世話な話まで、酔に任せて大声で話し、笑い合う事が出来るなんて・・・。


いや~、幸せだなぁ~♪




さてさて、再度話を本題に戻そう。








簡単なブリーフィングを済ませると、準備が整った人から、一艇、また一艇と、陸を離れる。この瞬間が、僕はとても好きだ。世間のしがらみや、仕事の事、日々のどうでもいい悩み事から開放され、自由になれる瞬間だ。


岬を右へとまわりこみ、はるか高みに造られたしまなみ海道の吊橋の底を眺めながら漕ぎ進む。満潮を越え、海峡内に満ちた膨大な海水が、反転し外洋へと流れだす。その干潮の引き潮に引かれるようにカヤックが前へ前へと滑りだす。


これが、世界屈指のフィールドといわれる瀬戸内を漕ぐ醍醐味だろう。






通常、手漕ぎのカヤックでは、巡航速度で6~7km/hが精一杯だ。しかも、一日30km~40kmを漕ぐとなると、ペース配分や体力の事も考える。なのに、ここしまなみでは、潮流にのってしまえば苦せずして9~10km/hのスピードで漕げてしまうんだから、そりゃ~面白いに決まっている。


因島の東岸を南に漕ぎ下り、弓削島、生名島、佐島を眺めながら、弓削島の南端を引きの潮流にのって回りこむ。 しかし、潮が味方してくれたのも、ここまで。 ここから先のほんの数キロは、向かい潮を漕ぎ上がらねばならない。


味方につければ怖いもなしの潮流も、一度敵に回すとえらく手強い。


この数ヶ月、仕事の忙しさにかまけて、まるで身体を動かしていなかったツケが、全身の疲労となって返ってきた。
歯を食いしばり、悲鳴をあげる上腕や背筋をなんとか酷使しながら、ビバークポイントに漕ぎ着いた。


いやぁ~・・・しんどぃ・・・(;´Д`)


でも・・・たまらなく楽しい!!


そして、初日にガタガタになった身体も、日を追うごとに馴染んでくる。






翌朝、弓削島を離陸すると、佐島、赤穂根島、津波島の東岸を漕ぎ下り、伯方島と大島の間の海峡に入る。ここが三大瀬戸のひとつで、『船折の瀬戸』と呼ばれる。読んで字の如く、船を折る程の激流が流れる場所だ。かの村上水軍の城のひとつ、 能島城もここにあった。


以前、この海峡を早朝の潮止まりを利用して東進した事はあったが、今回は流れに乗って西に漕ぎ進む。 


言うは易しだが、これがまた厄介で、下手に潮流の本流にのってしまうと、 狭い海峡で見通しが悪い上、頻繁に迫り来る大型の貨物船に正面から衝突してしまう危険をはらむ。 航路を避け、岸つたいにエディ(流れが反転する岸沿い・・・【たまり】とも言う)に沿って慎重にすすむ。

しかし、複雑な沿岸線や海底の地形の影響、そして潮流の影響をモロに受ける場所だけに、沿岸部は渦を巻き、複雑な流れを作る水面は、あらぬ方向に船首を引っ張り、時には岩場に押し付けられそうになるわ、時にはエディラインを越えて、本流にはじき出されそうになるわ・・・(*_*;


他の人はいざしらず、少なくとも僕のか細い心臓は、トム&ジェリーよろしく、口から飛び出し、ハートマークがドクドクと脈打っていた。


なんとか難所を乗り越えると、休憩の後、鼻栗瀬戸を越え、 伯方島を時計回りにぐるりと周り、夕陽が島影に姿を消すのとほぼ同時に、2日目の幕営地、津波島に無事上陸することができた。


まったく、いい経験させてもらったよ・・・( ;∀;)







最終日、日に日に軽くなる心と身体。


潮に揉まれ、無心にパドルを廻し、ただ水平線や島々が作る複雑で美しい稜線を見つめながら、岩城島と生名島の間の静かな海峡を抜け、生口島を越え、佐木島の岬をやり過ごし、因島の北岸のゴールが見えた。


パドリングをやめ、デッキにのせてある海図を眺める。


3日間、自らの人力のみで漕ぎ渡ったしまなみの島々を俯瞰する。


数年前、初めて訪れたこのフィールド。当時は、今いる現在地の把握すらままならず、ただ決められたレールの上を走るジェットコースターに乗っている感覚だった。旅をするっていう意識よりも、旅に連れて来てもらっているという感じだった。


あれから4年、セルフナビゲーションというにはまだまだ拙いけど、少なからず、旅をしている気持ちになることが出来たのが最大の収穫だった。漕いでいれば、僅かでも成長してゆく。それが、一年一年、塵が積もるが如くでもいい、ゆっくりと成長していければいいと、心から思いながら、今年のしまなみトリップを終えた。




たった3日間。されど、3日間。
汗にまみれ、潮にまみれ、身体は汚れきっていたし、ずっと履き続けた靴下は恐ろしく香ばしい香りがしていたけど、間違いなく心は洗われた。


時には暑さに萎え、時には寒さに震え、軋む身体に鞭打って、毎日数十キロも漕ぎながら、「何がそんなに楽しいんだ?」 と言われる事もあるけど、やっぱり海の旅は、理屈抜きに楽しい♪


そして、この瀬戸内の海旅は、海図を読み、潮を読み、太陽や月や地球の存在を、地肌でリアルに感じる事が出来る、最高の旅のフィールドだと、改めて思う。


今回の旅の案内人、グランストリームの大瀬さんが、しまなみの旅は『細胞レベルで身体が活性化する』と言っていた。


少しは、僕の細胞も、活性化しただろうか・・・。




今回のアテンドをしていただいた大瀬さんはじめ、ホーボージュンさん、マコトさん、そして、今回ご一緒した旅の仲間達へ、心を込めて・・・






あざ~っす!! m(_ _)m








そうそう、旅立ちの前に、未来の自分に向かって放り投げた厄介な仕事の数々。

しっかり休み明けに受取り、悪態を付きながら、
粛々とこなす日々を送っております。


_| ̄|○ ガックリ









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