港にて。

livedoorblog『港にて。』2006/11/09より転載


彼はオートバイの横にじっとたたずんで海を見つめていた。


2004年の春、僕は鳥取県の海岸沿いを一路東にむけてオートバイを走らせていた。

折りしも前線の北上に伴い、今にも降り出しそうな厚い雲が頭上に広がっていて、雨の降らないうちに少しでも距離を稼ごうと島根県の松江を出たきり休憩も取らずに走り続けたため、僕の上半身は少しこわばっていた。県境を越え鳥取県に入りしばらく走ったところで僕は休憩を取ることにし、タイミング良く日本海を一望できるパーキングエリアを見つけオートバイを滑り込ませると、売店で手に入れた熱いコーヒーを両手で包み、かじかんだ指先を温めながらパンをかじった。

そのパーキングエリアは高台にあり、駐車場の脇から海岸沿いに下る道を見つけた僕は、再びオートバイにまたがり、その道を海に向かって降りていった。そこは小さな漁港になっているらしく、看板に「赤崎港」と書かれていた。駐車スペースを探してあたりを見渡した時、冒頭の「彼」が目に止まったのだ。

その彼は何をするでもなく、ただオートバイの横で遠く海を見つめていた。そして静かにたたずむ彼の横には、僕がひそかに憧れているカワサキの「W650」がひっそりと彼に付き従っている。僕は迷わず彼の横に少し距離を取ってオートバイを止めて声をかけた。

「こんにちは。」

声をかけられたことが意外だという感じで少し戸惑いの表情をしながら、彼は挨拶を返してくれた。少々ぎこちないコミュニケーションの始まりではあったが、人がよさそうな温和な表情と、少し方言が混ざった雰囲気のある話方に安心した僕は、少しの間彼との時間を楽しむことにした。

年の頃は僕と似たようなものだと思う。30歳をまわった落ち着きを感じさせる。海を見つめていたのは、午後から友人と釣りをする為に事前に海の様子を見に来ていたらしい。僕が煙草に火をつけると、彼もつられる様に煙草を取り出した。

磨き込まれた「W650」はクロームパーツが眩しい程の輝きを放ち、彼の気質を物語っていた。僕が入念に磨かれた彼の愛車を称えると、気恥ずかしそうに目を細めて愛車を見つめていた。

「遠出なんかもするんですか?」

僕は何気ない質問を彼に投げかけた。彼の答えは少なからず僕を驚かせるものだった。

「いや、あんまり遠くには行かないですね。鳥取を出ることなんて殆どないですよ。」

信じがたい話だが、その磨き抜かれた「W650」は購入以来その大半の生涯を空の見えないガレージで過ごしているらしい。荷物を積んで旅をする事がこの上なく似合うオートバイが、その対極にある使われ方をしているようだった。

煙草を2本灰にする間、彼と当り障りない話をして別れた。別れ際、彼のまたがる「W650」の磨き抜かれたクランクケースは最初に見た輝きを失っていたように感じた。

バーチカルツインの奏でる小気味よい排気音が遠ざかっていく姿を見送った後、僕の側でたいしたメンテナンスもされずに酷使されている、ドロにまみれた「250TR」が、なんだか妙に誇らしげに見え、そっとタンクを撫でてやった。


☆☆☆



オートバイの楽しみ方は人それぞれなので、それをどうこう言うつもりは毛頭ないんだけど、少なくとも僕にとってのオートバイは旅をするための相棒であり、汚れていようと、錆びていようと、やっぱり旅するオートバイに惹かれるんだよなぁ~^^

『飛ばねぇ豚はただの豚だ』っていうポルコ・ロッソの名言を借りていうならば、『旅しねぇ豚はただの豚だ』ってことになるんだけど・・・。

あれ?俺、いつになったら『ただの豚』を脱皮できるんだろう・・・(泣)



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